化石研ニュース
No. 90

最終更新日:2005年10月19日

   
2005年1月25日発行



化石研総会のお知らせと演題募集

 2005年度の総会(第23回)を以下のように行います.
  会場:京都教育大学(京都市伏見区)
  日時:2005年6月4日(土)〜6月5日(日)


総会では一般の講演を募集します.(発表時間は1人15分〜20分程度)

【講演演題の申し込み】
  締め切り:3月31日(木)
  申し込み方法:郵送あるいはメールで事務局まで

【講演要旨の締め切り】
 4月30日(土)
 演題題目,発表者(所属),要旨をA4で1枚に収まるようにしてメールあるいは完成した原稿を郵送で事務局までお送りください.
 【送り先】
   〒525−0001
   草津市下物町1091番地
   滋賀県立琵琶湖博物館 地学研究室内
   化石研究会事務局
   

第122回化石研究会例会報告
 2004年11月7日に第122回化石研究会例会が鶴見大学において開催されました。

 今回の例会では、鳥類や人類の歩行の特徴やその起源に関しての講演(2題)、大型脊椎動物の形態学とデータ収集についての講演、ダーウィンフィンチの分子系統についての講演が行われました。各講演に90分というまとまった時間が割りふられたのが功を奏し、演者および参加者双方にとって演題の主旨の理解を深めることができたのが印象的で、化石研例会ならではの双方参加型の講演形態の一つであったように思われます。

 最初の講演は藤田祐樹氏による「鳥とヒトの二足歩行」で、今回は鳥類の歩行様式に焦点をあて、歩行を運動力学的に把握しようとする試みについて、演者が観察から作業仮説を検証された過程を丁寧にお話されました。鳥類の種類と歩行タイプとの関連や歩行リズムと重心移動との関連など、何気なく見過ごしてきた歩行についての詳細な観察にもとづく話題が提供されました。

 島泰三氏の講演は「骨食と直立二足歩行」と題し、人類の直立二足歩行の起源についての氏の考えを、長年にわたる野外でのサルや大型類人猿の生態調査データにもとづいて紹介されました。人類が直立二足歩行するようになる理由として骨食が重要な要因と考える根拠を、アイアイをはじめ大型類人猿の摂食行動に関する詳細な野外観察データの蓄積からまとめられていました。

 遠藤秀紀氏による「動物遺体からデータを取るための日常」では、国立科学博物館の研究員として動物形態学や分類学に関わる立場から、研究者としてばかりでなく、博物館員として動物園や飼主から動物遺体を譲り受け、生き物としての動物の姿を理解しようとする取組み方や姿勢について講演されました。講演で指摘された、DNA試料の収集の場としてのみ動物遺体を捉え、動物の生時の姿や飼主との関係には何ら関心を示そうとしない昨今の生物学や動物学のあり方に違和感を覚えるとの指摘は、ナチュラルヒストリー研究に関わる我々にとっても研究視点の原点を省みる機会となりました。

 最後の講演、佐藤秋絵氏による「Origin and phylogeny of Darwin’s finches」では、ダーウィン進化論の実例の一つとして知られてきた、ガラパゴス諸島に生息するダーウィンフィンチ各種の系統と適応放散に関して講演されました。本研究で、ガラパゴス諸島の種群は単系統群で、最近200万年の間に起こった適応放散によることが分子系統学的に明らかにされました。

 大変内容の充実した本例会の企画および準備をしてくださいました、小寺春人会員をはじめとする鶴見大学の皆様に感謝いたします。

*詳しいプログラムは次回の化石研ニュース(4月末発行予定)でお知らせいたします.
(島本昌憲)



第二回アジア生鉱物研究集会が開催される

 10月5日、6日の2日間、中国・北京の清華(Tsinghua)大学で第2回アジア生鉱物研究集会 Second Asia Symposium on Biomineralization (ASB-2) が開催された。これは日本と中国を中心としたアジア地域の研究者が集まって、研究成果の交流を深めようとの趣旨のもとに、1998年におなじく北京の中国科学院古脊椎動物古人類研究所で第1回集会が開かれた。第2回は昨年2003年10月に予定されていたが、その直前に起きたSARSの流行問題のため、一年延期されて今年の開催となったものである。化石研究会も開催の協賛団体の一つとなっている。

 日本からは10名が参加したが、その内訳は地質・古生物学、歯学、生物学、鉱物学の分野にまたがっている。

 今回の集まりはこの大学の材料科学系の生物材料科学教室のメンバーが中心になって準備された。その関係もあり、第1回の古生物、歯学中心に比べて材料科学関連の研究者が多く参加して、前よりも幅広いものとなった。参加国も韓国、アメリカ(USA)が新たに加わり、4カ国となった。この集会のChairman (主席)は李恒徳教授(清華大学材料系、アカデミー会員)で、Co-chairmen (副主席)は同じく材料系の崔福斎教授と神谷が務めた。5日の開会式では4つの挨拶があり、日本側からは小林巌雄氏が挨拶をし、あわせてこの集会の最初の提唱者の一人である大森昌衛氏からのメッセージを紹介した。

 シンポジウムのはじめに4つの招待講演があり、日本からは田崎和江氏(金沢大)がBiomineralization of pisoliths in hot springs と言う題目で講演をした。

 研究発表は42件が用意されていたが、途中の時間調整のため数件が取りやめとなったのは残念である。次の集会については日本か中国かと言う話になったが、中国・廈門(Xiamen)大学の馮祖徳教授から2年後にやりたいとの申し出が了承された。最後は宿舎の清華園賓館で終了記念のパーティーがあり、おいしい中国料理と燕京(yan jing)ビール、さらに38度の中国酒(白酒 Paichu )でにぎやかに会の成功を祝い散会した。

(神谷英利)



大島 浩さんを偲ぶ

 本会会員大島浩さんは,2004年7月29日午前9時18分,脳腫腸のため彦根市内の病院で永眠されました.享年42歳でした.3年ほど前から手術や入退院を繰り返していましたが2004年に入ってからは,ずっと入院生活を送っていました.奥様をはじめとするご家族の献身的な看病もむなしく病の床から戻ることはありませんでした.心から哀悼の意を表します.

 大島君(いつもそう呼んでいましたので)は,1962年2月8日アメリカで生まれましたが,すぐに日本に帰国し,高校時代まで東京で過ごしました.都立北園高校時代は,生徒会役員として活躍されました.第六次野尻湖発掘(1975年)に中学生として参加して以来,社会人になるまで,ずっと同発掘調査団の哺乳類グループの主カメンバーとして活動を続けました.哺乳類グループのメンバーとしての彼の仕事の成果は,野尻湖哺乳類グループ(1984.1987.1990.1993.1996.2000)に見ることができます.

 また,野尻湖哺乳類グループの活動と関係して,1976年に東京都中央区日本橋浜町の地下鉄工事現場から発見されたナウマンゾウ化石の研究にも携わり,弱冠高校生にして肋骨の記載を分担されました(日本橋ナウマンゾウ研究グループ,1981).高校3年生のとき,脳の病気で大手術をした直後にもかかわらず,信州大学理学部地質学科に現役で合格し周囲を驚かせたものです.

 大学・大学院時代は,野尻湖発掘調査団事務局のあった信州大学に在籍していたので,同発掘調査団の事務局員を約10年間務められました.学部の卒業論文では,長野県上田市塩田平の層序を研究し,その成果の一部は『八ヶ岳周辺地域の哺乳類化石』地学団体研究会専報No.34, p.205-210(1988)として公表されています.大学院では,東京医科歯科大学で1年間,解剖学を学んだ後,シンシュウゾウのタイプ標本の頭蓋の研究をおこないました.

 修土課程修了後,株式会社ココロに就職し,恐竜などの動刻(動く生体復元像)の制作に携わりましたあと,一時フリーになりました.倉敷市立自然史博物館にあるナウマンゾウの動刻は,彼の監修によるものですが,高い評価を得ています.その後,滋賀県の多賀町立博物館『多賀の自然と文化の館』に学芸員として,再就職しました.博物館では開設準備室時代から仕事に携わり,同館の展示では,彼らしさを随所に見ることができます.また,子ども向けの講座などでは,その話しぶりがたいへんおもしろくいつも大好評だったとのことです.1998年に滋賀県芹川のナウマンゾウ切歯化石の発掘調査をおこない,芹川で多産するナウマンゾウの産出届準の解明の糸口をつかめたという矢先に病に倒れられたような状況でした.

 大島君は,お酒と議論が大好きで,一晩つきあわされたという経験をお持ちの方もおいでのことでしょう.彼は,合理的で厳密な科学者としての一面と,絵がうまくシニカルな芸術家気質と仕事に妥協を許さない職人かたぎの性格を兼ね備えていました.日本では数少ないタイプの古生物学者だったと思います.彼の個性と才能は,これまでの仕事にも遺憾なく発揮されてきました.

 しかしながら,古生物学者として,学芸員としてこれから脂がのりきるという年齢での彼の若すぎる死を思うと,まことに残念でなりません.大島君の冥福を心からお祈りいたします.

(間島信男)



随想
『アメリカ大学研究生活46年』(4)


南カロライナ大学 名誉教授 渡部哲光

2.デューク大学での研究生活(1957年-1970年) 客員研究員

 デューク大学には前に述べたように研究員として赴任したので,勿論主要活動は研究であった.私に与えられた職分はリサーチ・アソシエートResearch Associateというものだが,これは現在でも日本の大学・研究所,そしてマスコミは「客員研究員」と訳している.アメリカの大学には学科・学部などに属する研究員の職はないから,「研究員」と云えば,教員個人の研究費によって雇用された者であって,正式の職員ではない.その意昧では客人であるには間違いない.

 しかし,「客員」と言うと何か格が上のような印象を与える.私も赴任当初は‘客員’という日本語の意味をあれこれ想像し,とにかく大事にされるのであろうと思っていたが,慣れてくるとどうも様子が違う.教授級の立派な学者はもちろん客人として大事に扱われ,多くはVisiting Professorと呼ばれていたけれども,私のような未だ駆け出しの若僧は大学院の学生とそれほど違った扱いではなかった.だから,リサーチ・アソシエートを「客員研究員」と呼ぶのは少々間違いではなかったかと思う.単に「研究員」の方がすっきりとしている.

 一方,会社などにもリサーチ・アソシエートという職がある.これは,臨時に外部から雇用されたものではなくて正式の研究職で,客人という意味は全くない.現在ではアメリカの大学にはリサーチ・アソシエートという名(職)は殆ど無くなっていて,ポスト・ドクトラル・アソシエート(post-doctoral associate),略してポスト・ドックに代わっている.資格は前者と全く同様で,普通は学位を取得直後に研究室に雇われ,テーマを与えられて研究に従事する研究者である.このような名称は1970年の終り頃から始まったようである.しかし,リサーチ・アソシエートが全く無くなった訳でもなく,ポスト・ドックの上にあって,これを指揮する役として設けている研究室もある.

 勿論,この場合でも,教師個人に雇用された研究員である.(日本の犬学・研究所にも現在「客員研究員」制度があるが,これはアメリカのリサーチ・アソシエート,或はポスト・ドクトラル・アソシエートとは違う性質のものであろう.)ついでだが,ヴィジィティング・アシスタント /アソシエート / プロフェッサー(Visiting Assistant / Associate / Professorというのは母国,あるいは滞在先から滞在費などを支給され,一時的に研究に来ている国内・外国の大学・研究所職員で本職の地位に応じて,その名称が与えられている(勿論例外もある).この場合は日本で使われているように「客員助 / 準 / 教授」が適当と思われる.

研究さまざま

第一期
 デューク大学での研究は,臨海実験所以外はすべてウエスト・キャンパス(WestCampus)で行ったが,始めの頃の事情をここに少し詳しく述べる.このキャンパスは壮大なチャペルと,その前に広がる大きな広場が中心となっている.チャペルについてはまた後述するが,それに回廊でっながってユニオン(学生クラブ,レクリエーション室,郵便局,日本の生協相当の各種店舗,2つのキャフェテリアなどがある),神学部,法学部,理学部化学教室が左右に並んでいた.また,これらの向い側には,花壇を挟んで文理各学部,学生寮,医学部,病院があり,少し離れて大学本部があった.

 これらはいずれもゴシック建築で統一された美しい建物の一群で,植物園と共に内苑を構成していた.後年,新たに多くの研究棟が周辺に加えられたが,外苑には工学部,医学部新棟,そのほかの研究棟,及び各種運動場,演習林があった.私は1960年までの3年間は内苑の植物学・林学教室の入居していたゴシック校舎内の動物学教室に通った.大学のゴシック建築に用いられた石材は,Caro1ina S1ate Be1tのスレートである.はじめはイタリアから輸入したスレートを使用する予定だったが,良いスレートがすぐ近くのHillsboro町から産することが分かって,これを利用した.Caro1ina S1ate Be1tはノースカロライナ州のほぼ中央部,フォール・ラインの東を南西から北東に,北はヴァージニア州,南はジョージャ州に及ぶ長さ約600km,幅約40-100kmの帯状の変成岩層である.

 原生代後期からカンブリア紀の火山岩・堆積岩を含み,変成作用を受けて緑色片岩に変り,種々の火成岩が貫入している.Hillsboroはダーラム市から西北約20kmに位置し,このスレートの採石場があった.デューク着任の最初の日は2月12日火曜日.ウィルバー教授(以下教授と呼ぶ)が車で下宿に迎えにきて,大学に行き,本部の人事,会計その他で,給料支給の手続きを済ませ,また,当分の費用として幾らか前渡しを受けた.当時は身分証明書などは必要なく,1970年までデューク大学在任の13年間,それを所持したことはなかった.

 その日は,教授の大きな実験室の一隅に置かれた私の机を示され,また4隅に陣取っていた3,4人の大学院学生を紹介された.どの机も椅子も木製の小さなものでそれに,大きな蛍光灯が一本備え付けられていたが,蛍光灯というのはアメリカでは,オフィスなどでは勿論使われているが一般家庭では殆ど使用されない.これはアメリカの家内装備の大きな特徴と言ってよいだろう.

 さて当日は,その内に昼になったので学生のグループに誘われてすぐ隣の医学部建物内のコーヒーショップに行き,ハムサーンドイッチ(耳のある)とコーヒーをとった記憶がある.そのうち,ちょうどそこに居合わせた一人の知らない医学部学生がライターを取り出して,「これはMADE IN USAと彫ってあったと思い,日本で買ったものだが,安いが余りよくつかない.良く見るとMADE IN USOだった.まやかしものでけしからん.しかし,よく見ないで買ったのだから仕方がない」とこぼしていた.私は恥ずかしい思いをしたが,USOは日本語では「嘘」のことだとは言えなかった.当時は朝鮮戦争終了後数年たった頃で,戦線帰りの学生も随分大学にはいたし,朝鮮派遣中に,休養のため1週間位日本に来た者も割りに多かった.

 昼食後は,教室主任のDr. Grey,海産無脊椎動物学教授で臨海実験所長を兼ねていたDr. Bookhout,動物比較生理学のDr. Knut Schmid-Nielsen(彼は日本でもよく知られていた),そして奥さんのDr. Bodil Schmid -Nielsen んどに紹介された.Bodilさんはノルウェー人で,ノーベル賞を受賞したDr. A. Kroghの娘である. 

【次号につづく】


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新刊紹介

「中国遺迹化石」
楊 式溥・張 建平・楊 美芳 編著
2004年8月.330p.(図版説明のページを加えると353p.), pls.64.
科学出版社,北京.85.00元.

 標題の本を中国関係の本を扱う書店の通信販売で購入した.中国では遺跡からでる自然遺物を化石と称しているのではないかと決めつけて注文したところ,trace fossilであることがわかり,なるほどと納得した.生痕化石については,まともに勉強せず,門の外からのぞいているだけの私には,この本の中身について批評はできないが,生痕化石研究の教科書としてまとまっているように見え,中国の生痕化石(研究)について概要を理解するには良い本のように思われる.図版の写真も以前の中国書に比べてだいぶ印刷が良くなっているので,見る人が見れば有効な本かも知れない.本文は簡体字で書かれているが,Systematic Description of Selected Ichnofossils of China が英文で書かれ,新属(Ichno gen.nov),新種(Ichno sp.nov)も多く記載されているので,その点でも無視できないだろう.中国,欧米の参考文献が多数あげられているが,日本の文献がほとんどないのは気になる.

目次は以下のとおり(簡体字は日本で使われている漢字に置き換えています)
第一章 遺迹化石的鑑定,命名和分類 1
  1.1 遺迹化石的定義
  1.2 遺迹化石的鑑別特性
  1.3 遺迹化石的属種画分依据与命名
  1.4 遺迹化石的分類
第二章 遺迹化石的研究方法和技術 18
  2.1 野外観察方法
  2.2 室内研究技術
  2.3 岩心中遺迹化石的研究方法和技術(ボーリングコア中の生痕化石)
第三章 遺迹化石的古環境和古生態学応用 29
  3.1 遺迹化石与古環境因素的関係
  3.2 遺迹化石的古生態学応用
  3.3 遺迹化石的層序地層学応用
第四章 中国遺迹化石群落及其沈積環境 48
  4.1 陸相遺迹群落
  4.2 濱海及潮間帯遺迹群落
  4.3 地台浅海砕屑沈積環境中的遺迹群落
  4.4 浅海、半深海至深海沈積環境動藻迹(Zoophycos)遺迹群落
  4.5 深水濁流沈積複(復)理石相類砂蚕(Nereites)遺迹群落(flysch
facies の生痕)
第五章 中国遺迹化石系統描述 98
参考文献 264
Systematic Description of Selected Ichnofossils of China 288
付録;本書描述的遺迹属名単 331

(石井久夫)



◇ お願い◇

  • 昨年7月に発行した化石研究会誌第37巻2号の巻末の会員名簿に誤りや変更がある場合は,事務局までご連絡ください.
  • 会費が未納の会員は,諸経費が逼迫していますので,滞りなくご送金ください.
    年会費:一般4,000円,学生2,500円

化石研ニュース No.90 05・1・25
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