化石研ニュース
No. 92

最終更新日:2005年7月23日

   
2005年7月25日発行



ご  挨  拶

会 長 神 谷 英 利

 6月はじめに京都で開かれた第23回総会で会長を仰せつかりました。何代目の会長なのか見てみると、8人目でした。第1回総会が開かれたのは1983年で、今年は23年目になるのですが、会長の任期は2年でかつ2期務められた方も複数おられるので、8人目になったと言うわけです。

 化石研究会が設立されたのは1959年のことですから、今から46年前になります。それまでの古生物学の研究体制のもとでは十分に進めることが期待できなかった、境界領域の研究者も含めた新しい化石の研究を推進するために、新しい組織がつくられました。当時の会の英名は Fossil Club でその名の通り学会形式は取らず、会長や運営委員もなく、研究を発展させるための実質的な活動を行いました。

 例会の参加者も首都圏の会員が中心で、ちなみに1977年まで55回あった例会はすべて東京で開催されています。私は大学院に入った当初から会に参加していましたが、境界分野の話は基礎的な知識が乏しいせいもあって、「良く判らない」と感じることが多く、重要ではあってもそれほど面白いと思うことばかりでもなかったような記憶があります。

 1983年から化石研は学会形式を取って会則を定め、会長や運営委員会をおいて会の責任体制を整えました。英名もFossil Research Society となりました。これは対外的にきちんとした体制を取る必要性が生じたことに加えて、やはり会の活動がより広範で影響の大きいものになってきたことを示しています。この6年前の1977年、会員が中心となって三重県志摩で「第3回国際生鉱物シンポジウム」が開催され、大きな成果がありました。化石研が組織的に次の段階に進んだのも、この成果の反映と見ることが出来ます。

 新しい体制を取ってから20年余、化石研は今それに見合った活動が出来ているでしょうか。2001年の「第8回国際生鉱物シンポジウム」(新潟・黒川村)には国内外から多くの研究者が参加し、2004年の「アジア地域生鉱物シンポジウム」(北京)は日本と中国の関係者の協力によって成功し、会員が各種国際集会で発表する研究成果も増えています。2年前には会の運営に関して、深刻な影響を受ける事態があったことはまだ記憶に新しいところですが、現在は、新しい運営委員会と事務局の努力で積極的な運営が進められています。しかしながら、若い会員があまり増えず全体として「高齢化」が危惧されるなど構造的な問題も抱えています。

 6月の第23回総会・学術大会(京都教育大学)には70名近くの参加者があり、最近にない盛会となりました。これはしっかりした企画と周到な準備によるところが大きいと思われますが、今後も皆さんのご協力をいただきながら、ひとつ一つをきちんとやることによって成果を上げ、若い研究者にも魅力のある化石研になることが必要かと思います。

 最後に、2期4年にわたって多難な時期に、会の運営にいろいろとご尽力頂いた真野勝友前会長に謝意を表して、私の会員の皆様へのご挨拶を終わりとさせて頂きます。よろしくお願い致します。



第123回化石研究会例会のお知らせ

 第123回化石研究会例会は10月22日(土)午後〜23日(日)午前に
弘前大学理工学部を中心に行われます.化石研究会ニュース次号は例会直前の
発送となるため,早めにお知らせしておいた方が良い事項を今回お知らせします.
 津軽と言えば特別史跡の「三内丸山遺跡」に世界遺産の「白神山地」,
これらにちなんだ特別講演を22日に行います.また,23日には三内丸山遺跡の
見学を予定しています.秋の津軽へ是非おいで下さい.
 
【個人講演】22日に予定しています.口頭発表(1人15-20分を予定)及びポスター発表を先着順で募集します.講演希望の方は講演者名,演題,発表機材(液晶プロジェクター,OHP,スライド),発表区分(口頭,ポスター,どちらでも可)をお知らせ下さい.

締切:<講演申込>8月31日(水)午後5時必着

<要旨>10月14日(金)午後5時必着,書き方は申込者に後ほどご連絡いたします.

【懇親会】22日夜には懇親会を予定しております.会費は3,000円前後を見込んでおります.参加人数を把握したいので,早めにお申し込み下さい.

【宿泊】今回のニュースに同封の用紙で弘前大学生協にお申し付け下さるか,直接ご手配下さい.

【巡検】23日(日)はチャーターバスで三内丸山遺跡へ向かいます.車中では津軽の地質についてお話しします.遺跡ではボランティア・ガイドの解説を聞いた後,関連施設を自由に見学して解散とします.バスの料金は1,200円程度を予定しており,先着順で受け付けます(キャンセル待ちをするかもお知らせ下さい).なお,バスを利用せずに,現地で合流することも可能です.

【個人講演,懇親会,巡検の申込先】
036-8561 弘前市文京町3 弘前大学理工学部地球環境学科 根本 直樹 宛
tel. & fax 0172-39-3618 

【弘前までの往復】
・弘前集合,青森解散を予定しています.切符の手配の際はご留意下さい.
・空路は青森空港発着になります.弘前,青森と空港を結ぶバスがあります.
・新幹線は八戸までの「はやて」(全席指定)と盛岡までの「やまびこ」があります.八戸-青森-弘前間には特急があります.盛岡と弘前,青森は高速バスで移動できます.
・夜行寝台は大阪からの「日本海」と上野からの「あけぼの」があります.
・高速バスは東京方面(要予約),仙台(要予約),盛岡(予約不要)から出ています.
・当日は土曜なので自家用車でも大学の入校が可能です.



第23回総会・学術大会の報告



 去る6月4、5両日京都教育大学藤森(ふじのもり)キャンパスにて第23回化石研究会総会・学術大会が催された。初日はシンポジウム「日本の長鼻類化石の研究はどこまで進んだか」が行われた。今年は亀井節夫編著『日本の長鼻類化石』が出版されて14年目となり、長鼻類の各分類群で研究の進展が見られることから企画されたもので、時宜にかなったものといえる。

 化石が多いナウマンゾウは早くから研究が進んだため、予想されたとおりその後はステゴドンやマンモスについての進捗が著しい。おもな新知見はつぎのとおりである。

 日本最古のゾウとして知られる瑞浪のゴンフォテリウムはかつて20年を経て同一個体の上下顎の化石が発見されたが、さらに4年後に右下切歯が採取されていたことがこのほど明らかになった。接合したところ下顎切歯が全体としてへら状になっていたことがわかった。

 ステゴドンについては『日本の長鼻類化石』の分布図にはなかった新たな産出で、アケボノゾウの北限が東北地方にまでおよぶことになった。これまで日本のステゴドンはミエゾウ(シンシュウゾウ)、アケボノゾウ、トウヨウゾウの3種に分けられてきた。しかし中国のツダンスキーゾウとミエゾウの中間型、ミエゾウとアケボノゾウの中間型があるらしいことがわかってきた。アケボノゾウのかつての復元には不備が多く、改めなければならない点に気がついた。

 ナウマンゾウが所属するパレオロクソドン属の始祖にあたるアフリカのレッキゾウは進化段階に応じて5亜種に分けられてきたが、複数種が混在している可能性がある。四角い頭蓋や幅広い切歯骨といった属の特徴は徐々に備わってきた。ナウマンゾウは同属の分布の縁にあり、複数種が混在している可能性が少ないので、ヨーロッパのアンティクースゾウよりはレッキゾウの分類の見直しに有効である。

 中国で下位の層準からでるナルバダゾウとされたものはマンモス属のものである。日本の前期更新世産のムカシマンモスは中国のトロゴンテリゾウが渡ってきたものらしい。ケマンモスとナウマンゾウがともに産する北海道はケマンモスの分布の南限にあたり、気温の昇降とゾウの南北移動という環境と動物との関連を考えるうえで貴重な資料となる。

 京都教育大学生協で開かれた懇親会には京都大学や京都教育大の学生、院生も多数参加し、にぎわいを見せた。京都駅近くの宿泊組はホテルのレストランで二次会を開き、地元組とともに夜更けまで大いに盛り上がった。

 2日目は総会と昼休みをはさんで一般講演8題が行われた。一般講演の演題の内訳は脊椎動物5題、無脊椎動物2題、植物1題で、あいかわらず偏りが見られる。総会ではかねて退任を求めていた真野勝友会長に代わり、長年運営委員長を務められた神谷英利氏が新会長に選出された。今年は1期2年任期の運営委員の改選期にあたり委員交代のはずだったが、新体制が軌道に乗り出したところなので、変則的ながらあと1年現行のままで続け、その後すでに2期を務めた半数を改選するとの運営委員長提案が諒承された。

 昼休みには京都教育大学副学長の武蔵野實氏(環境地学教室)の案内で京都教育大学オープン・エア・ミュージアム見学が行われた。戦前は軍用地だったというキャンパスには緑が豊かで、各種の樹木が植えられている。ふつうの植物園とちがって、いくつかの木の前には展示ケースがあり、中には化石まで置かれているものもある。ここがパンフレットの副題にもあるように「キャンパスに見る日本列島の生い立ち」たるゆえんで、武蔵野さんのこだわりでもある。メタセコイアやフウ、ミツバマツなど化石でおなじみのものが実見できたし、15センチもあるダイオウショウの松ぼっくりをお土産にした人もいた。

 今回は長鼻類化石の研究者が集まっている近畿圏で長鼻類のシンポジウムが開かれたためか、70名あまりもの参加者をえて近年にない大盛況だった。会場を準備され、大会をお手伝いいただいた京都教育大の皆様と有意義なシンポジウムを企画された事務局の皆様にお礼申し上げる。

(犬塚則久)



伏見の地質と歴史めぐり
 総会が開催される京都教育大学周辺には多くの歴史や地質と関連した場所があります.お時間の許す限り見学してみてはどうでしょうか.

「藤森神社」:大学のすぐそば.神巧皇后が凱旋したときにこの地に旗をたて,兵器を埋めたのが起こりと伝えられる.勝運と学問の神社として信仰が深い.5月5日の節句の発祥地と言われている.
「清涼院」:もとは伏見城内の北面,御花畑山荘の御殿であった.徳川家康の第9子尾張大納言義直はこの地に誕生した.

「桓武天皇柏原稜」:784年に長岡京に,794年に平安京に遷都した桓武天皇の陵墓.伏見城築城の際に,壊されたが安政年間に旧稜跡が発見された.

「乃木神社」:日露戦争の司令官 乃木希典将軍を祀る.参堂は閑静な散歩道.

「明治天皇桃山稜」:陵墓の形は上円下方墳.外装は光沢のある小豆島の砂礫で覆われている.旧伏見城跡に設けられた.

「月桂冠大倉記念館」:昔のままの土蔵造りの建物を使って350年の酒造りの歴史を紹介.

「寺田屋」:竜馬の常宿.1866年に幕使に囲まれ襲われる.竜馬の泊まっていた部屋が今も残る.

「御香宮神社」:その名は,今から1100年ほど前に境内から「香」のよい水が湧き出たのに由来.「名水100選」のひとつに選ばれている.このような良質の水があることから,伏見は酒どころとなった.酒造りのための水は深さ50〜130メートルの砂礫層から汲み上げられている.伏見の酒は灘の酒に比べてまろやかと言われているが,これは地下水に含まれるカルシウム,カリウム,ナトリウムなどが少ないため.

「伏見城」:秀吉は伏見に2つの城を造った.はじめは巨椋池に臨む指月城.しかしこの城は1596年の慶長大地震で崩壊し,秀吉は秀頼や淀君とともに命からがら城から逃れた.この地震による被害は甚大で,京都付近だけでも4万5千人と言われている.その後直ちに伏見山に第2の伏見城を造った.この城は,教育大学からよく見える.

「巨椋池(おぐらいけ)」:宇治川(琵琶湖から),木津川(奈良から),桂川(京都市内から)が合流する場所には巨椋池という広大な遊水池が広がっていた.その後,木津川,桂川の流路が西に移ったり,また豊臣秀吉が伏見城を築いたときに,宇治川の流路を北側に迂回させたため池は孤立した.昭和7年からは,10年間の月日をかけて食糧増産のために干拓がおこなわれこの池は姿を消した.この巨椋池で行なわれたボーリング調査では,更新世末期から現在に至る環境変遷が調べられた.今もこの池に関係する地名が多く残る.

「トウヨウゾウの化石」:京都教育大学の北側の深草丘陵からはトウヨウゾウの臼歯化石が発見されている.深草丘陵には大阪層群の4枚の海成粘土層がみられ,間氷期にこの付近にまで大阪湾が侵入したことがわかる.臼歯化石が発見されたのは,淡水成の粘土層の中からで約50万年前のものとされている.化石の実物は京都大学で保管されているが,レプリカは京都教育大学でみることができる.




随想
『アメリカ大学研究生活46年』(6)


南カロライナ大学 名誉教授 渡部哲光

 RCAの透過型顕微鏡は当時、ドイツのジーメンス製と並んで世界の顕微鏡界を風靡していたが、会社は一般家庭用のテレビなどに比べて採算の低い学術用の機器には余り力を入れなくなり、電顕の修理にテレビの技術者が来たとシャープ博士が笑っていたくらいであった。そのうちに電顕部門はウオルサム時計会社に売られ、1970年の半ば頃には自然消滅してしまった。それ以来現在にいたるまでアメリカには商業的に売られている透過型電顕は現れていない。私もRCAの透過型電顕を使ったのはデューク大学が最初で最後であった。

 それはともかく、私は4月末頃まで貝殻内表面、すなわち Foliated Structure -葉状構造- のカルサイト成長・集合状態の観察をつづけた。写真の焼付け・引き延ばしは夜のことが多く、終日キャンパスにいたが、教授は私が夜も残って仕事をすることを当然のことと思っていたらしい。強制はしなかったが、今夜はどうすると聞くから焼付けや写真の解析をするというと満足したような顔をする。

 しかし、このことは研究室の院生には面白くなかったらしく、或日、ついにその一人から「お前が夜も仕事をすると、我々が怠けているように思われて甚だ迷惑だから、夜は仕事をしないで欲しい」と言われた。これは全く予期しなかったことで驚いたが、「私の滞在期間は9カ月だから早く仕上げて論文を書き上げなければないこともあるし、また、夜も居残ることは日本の大学では当り前のことで、私は特に余計に仕事をしているという意識はないのだ。しかし、今後注意する。」と返答した。まわりを注意して見ると、動物学教室ではウィルバー教授の研究室以外の部屋には殆ど灯りが点いていなかった。 稀に大小の教室が明るいと思って覗くと、クラブ集会や、コーラスの練習などであった。

 やがて5月になり、今までの研究成果を教授とディスカッションの結果、論文報告が出来るほどのデータが揃ったことに同意した。ただ一つ、葉状構造はカルサイト板状結晶が屋根の甍のように階段状に積み重なって出来ているのだが、その構造がどのような結晶成長の経過を経て出来たかわからない。私の提案で、メリーランド 州、ベルツヴィル市(Beltsville)にある、農業省研究所の結晶学者の一人、ヘンドリックス博士(Dr. Hendricks)、および年来文通していた、ベツレヘム鋼業(Bethlehem Steel)の研究顧問でボルチモア市に住む、ザッフェ博士(Dr. Carl A. Zapffe)を尋ねて智恵を借りることにした。

 ベルツヴィルへはワシントン空港からバスに乗ったが、途中までしか行かない。小一時間ばかりタクシーを探したり、ヒッチハイクまで試みたがなんとも仕方なく、ついにヘンドリックス博士に電話を掛けて、3時の約束より遅れることを告げ、秘書に迎えに来てもらった。しかし、たどり着いたのはもう午後4時半で、彼とは30分しか話さず、大した助言も貰わないうちに5時になったからと彼は帰っていった。少々がっかりしたが、こちらが遅れたのだから仕方がない。

 次いでザッフェ博士の家にタクシーで着いたのは6時を過ぎていたが、門を入って木立ちの中を随分走らなければ玄関に着かないという壮大な邸宅であった。彼は有数の鉄鋼会社の技術顧問だし、夫人はデュポン家の出だから、屋敷の大きなのは無理もない。小さな池まである広い居間の一隅で早速貝殻構造のディスカッションが始まったが、彼にもその結晶成長の過程について良い考えは出なかった。1時間位で2人とも諦め、夫人と3人で夕食をし、その晩は泊めて貰った。

 翌日夫人が汽車の停車場まで送ってくれ、豪華な絨毯が敷きつめてあって深々とした椅子が10個くらいしか置いてない、広い一等のラウンジ・カーに乗せてくれた。ワシントンまでは1時間もかからなかったが、生まれて始めての贅沢な旅であった。ダーラムには例のイースタン航空で帰着したけれども、当時は裕福な階級は航空機を利用せず、汽車の旅をする理由がわかったような気がした。

 さて、ウイルバー教授と私は、階段状構造の成因に触れなくても論文の価値にはそれほど影響はないと判断し、論文を半月位で完成し、Journal of Biophysical and Biochemical Cytology (現在のJournal of Cell Biology) に投稿した。題名は Electron Microscopy of Crystal Growth of the Nacreous Layer of the Oyster Crassostrea virginica by Norimitsu Watabe, D. Gordon Sharp, and Karl M. Wilbur である。審査後、受理されたのが同年11月ころで、1958年5月に印刷公表された。

 論文製作の際、私はウィルバーがカキの貝殻内表面層を Nacreous Layer (真珠層)と呼ぶことに反対した。この層はドイツのシュミット教授(Prof. W. J. Schmidt)が Kalzitostracum (Cacitostracum) と呼んでいると説明したのだが、彼はアメリカでは Nacreous Layerと云うのだといって承知しない。そう云われると私はそれは違うとは云えないので、とにかく‘DISCUSSION’の中に、この層は Calcitostracum とも呼ばれることを明記することに同意させた。数年後、研究室を訪れた貝類学の権威、グラスゴー大学のヤング教授(Prof. C. M. Yonge)にこの名称の誤りを指摘され、私は事情を説明したが、矢張りウィルバーにもっと強く反対してCalcitostracum (現在では Foliated Layer が一般的)を使用させるべきであったと悔やんだ(注2)。

 何はともあれ、このようにして色々の'事件'があったが、曲りなりにも私の第一目的は無事に期間内に達成す事ができてほっとした。しかし、これはこれからずっとつづくようになった長いアメリカでの研究生活のほんの序の口であることは知る由もなかった。

注1(本文は前号にあり):あとで聞いたところ、どんな時でも女性が入室してきたら男性は立ち上がるのがこちらの習慣ということで、それ以降忠実にこれを守った。さすがに同僚の女子学生が実験室に入って来ても男性は別に何もしなかったが、それ以外の場所で会うと矢張り起立した。一方、「Don't stand up」といって入ってくる女性も割に多かった。しかし最近では、オフィスなどには女性の数が非常に多くなり、男性はいちいち起立することもなくなったが、少なくとも南部では、個人の集りなどで矢張りその習慣に従うところが多いようである。

注2:それからずっと後、ノースカロライナ大学(University of North Carolina)のカーター博士(Dr. Joseph G. Carter)はこの論文を引用し、この層を Nacreous Layer と呼ぶほうが正しいと論じたが、一般には認められていない。

【次号につづく】


各地の博物館特別展

●ミュージアムパーク茨城県自然博物館
第34回企画展 「46億年のタイムカプセル−南極大陸から未来がみえる」
7月16日〜9月25日

●群馬県立自然史博物館
企画展「パレオが見ていた大海原‐化石から探る太古の群馬‐」
7月16日〜9月4日

●国立科学博物館
特別展「縄文vs弥生」
7月16日〜8月31日

●神奈川県立生命の星・地球博物館
特別展 「化石どうぶつ園−北アメリカ漸新世の哺乳類−」
7月16日〜11月6日

●相模原市立博物館
「地球46億年−顕微鏡で見る地球誕生のころ」
7月23日〜9月4日

●新潟県立上越科学館
上越市合併記念特別展「恐竜展」
7月30日〜8月21日

●福井県立恐竜博物館
開館5周年記念「大空に羽ばたいた恐竜たち展」
7月15日〜11月3日

●野尻湖ナウマンゾウ博物館
特別展「氷河時代の昆虫化石」
7月1日〜11月30日

●飯田市美術博物館
特別陳列展「原人がいた頃のシカ」
6月28日〜8月18日

●光記念館
地質科学よりみた飛騨展示室 夏休み展示室企画展「恐竜ブース」
7月21日〜9月4日

●瑞浪市化石博物館
第63回特別展 「貝類百科」
6月19日〜9月4日

●東海大学海洋科学博物館
「ふれてみよう−サメと海の生きものたち」
7月23日〜8月31日

特別展「深海掘削船ちきゅうと深海のなぞ」
7月23日から8月31日

●2005年日本国際博覧会さきしま会場
「恐竜博2005」
7月16日〜9月25日

●海遊館
「SHARK&RAY 〜謎の巨大ザメを追って… 太古の海にタイムトリップ!〜」
7月15日〜2006年1月31日

●鳥取県立博物館
特別展「遙かなる進化−恐竜・マンモスそしてホモ・サピエンス−」
7月16日〜8月28日

●徳島県立博物館
企画展「絶滅‐生きものはなぜ滅びるのか?」
7月22日〜8月31日

●愛媛県立博物館
テーマ展「日本最古の地層」
8月2日〜9月25日

●御所浦白亜紀資料館
「恐竜と古代ほ乳類の時代in御所浦」
7月16日〜8月28日

■企画展示の紹介
群馬県立自然史博物館 
「パレオが見ていた大海原‐化石が語る太古の群馬‐」

 平成8(1996)年秋開館の群馬県立自然史博物館は群馬県南西部の丘陵地帯にあり、その基盤は中新統「富岡層群」です。この地層は国内における微化石生層序研究の代表的なもので、地質学に関して、比較的活発に研究されています。最近も高橋・林(2004)が複合年代層序に基づく「富岡層群」の再構築を行い、本地域の地質の研究も新展開を見せつつあります。しかし「富岡層群」産化石とその研究は、生層序の研究に関連する微化石を除けば、1990年代前半まで貝類や魚類、哺乳類に関するわずかな報告のみでした(例えばIwasaki, 1970; 後藤・小林・大沢, 1980; 宮崎・堀川, 1985など)。

1990年代後半以降には、県内を中心とした化石収集家の寄贈などによって多数の標本が自然史博物館に収集されました。自然史博物館では国内の各分類群の専門家の協力の下にこれらの標本の調査研究を行い、すでにその成果の一部は博物館の研究報告や学会で公表しました。その結果「富岡層群」は、ウミガメ類クロベガメや、ハクジラ類ケントリオドン、そして深海ザメ類などにおいて世界的に有数の産地であることが判りました。また群馬からしか見つかっていない「アンナカコバネハクチョウ」全身骨格も世界的に貴重です。

 企画展「パレオが見ていた大海原−化石が語る太古の群馬−」ではそれらの成果を元に「富岡層群」産化石、ならびに県内外の同時代や同分類群の化石を展示し、地層に記録された約600万年間の生物や環境の移り変わりを5つのコーナーに分けて展示しています。中でも鳥類化石「アンナカコバネハクチョウ」は全身骨格を復原し、実物化石や現生ハクチョウ類の骨格と併せて展示し、その特徴や意義を紹介しています。

期 間:平成17(2005)年7月16日(土)〜9月4日(日)
(期間中の休館日・・・7/19(火), 25(月), 8/29(月))
場 所:群馬県立自然史博物館 企画展示室
入館料:一般700(560)円、大学生・高校生400(320)円

※( )内は20人以上の団体の一人分の料金です。
※中学生以下ならびに障害者手帳をお持ちの方とその介護者1名は無料
※上記料金で企画展、常設展とも観覧できます。
(高桑祐司)



化石研ニュース No.92 05・7・23
編集・発行:化石研究会事務局 〒525-0001
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滋賀県立琵琶湖博物館 地学研究室内
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