化石研ニュース
No. 94

最終更新日:2006年2月8日

   
2006年2月1日発行



第24回総会・学術大会のお知らせと
一般講演演題募集

 日時:6月3日(土)〜4日(日)
 会場:神奈川県立生命の星・地球博物館
 内容:シンポジウム・一般講演(詳細は次号のニュース(4月末発行予定)でご連絡いたします.)
 一般講演の発表時間は,1題15〜20分の予定です.

 【講演演題の申し込み】
     締切り:3月31日(金)
     申し込み方法:郵送あるいはメールで,講演者名,演題,発表機材
(液晶プロジェクター,OHP,スライド)をお知らせください.
 【講演要旨の締切り】
     4月30日〔日〕演題,発表者(所属),要旨をA4,1枚でおさまるようにして,メールあるいは完成原稿を郵送してください.
 【送り先】
     〒250-0031 神奈川県小田原市入生田499
 神奈川県立生命の星・地球博物館 樽 創 宛
 電話 0465-21-1515 (代表)
 



第124回化石研究会例会の報告

 2005年11月22日(土)午後1時から,弘前大学理工学部1号館3番講義室において,第124回化石研究会例会が開催されました.

 青森県には世界自然遺産である白神山地や,約5500〜4000年前の縄文時代の都市である三内丸山遺跡があり,特別講演として弘前大学農学生命科学部のお2人から,これらに関係した話題を約40分ずつお話していただきました.

 石田幸子氏の「白神山地の淡水棲プラナリア」は,染色体多形とrDNAの部分配列についての講演でした.プラナリアといえば,再生の実験に用いられるナミウズムシが有名で,関東地方でも湧泉などで見たことがあります.プラナリアの種は北方ほど多く,北海道に14種,青森県には7種が分布し,白神山地では3種が確認されているということです.そのうち最も標高の高いところに棲むカズメウズムシは多数の眼をもち,氷期にシベリアから移入してきたものが日本の固有種になったもので,本州中部以北の高山の積雪地域に生息しているそうです.また,細胞学的に複雑な染色体多形を示し,6倍体もあるなど,種レベルでこれほどの多様性があるとともに,18SrDNAの部分配列は一致することが明らかにされ,キタカズメウズムシとの分子系統解析から系統関係も解明されたことには,興味をひかれました.また,プラナリアは氷期のレリックとしても面白い生物だと思いました.

 石川隆二氏の「三内丸山遺跡から出土する種子とDNA考古学」は,遺跡から出土した種子のDNA配列を解析し,種同定のデータベース構築している仕事の紹介でした.クリは大量に出土し,食用のほか大型建造物の材木としても利用されていたということです.クリは自家受粉しないので,一般的には遺伝的な多様性に富むそうですが,ここでは多様性が低く,優良樹を選んで栽培していたことが推定されるそうです.ニワトコ類の種子は層状にまとまって出土することから,発酵させて酒を造ったか薬として利用したことが考えられるそうです.ダイズはその野生種であるツルマメとの間にDNA配列の違いが見いだせないが,一方,西洋ブドウ・ヤマブドウ・エビズルは,種子に形態では識別が難しいものの,DNA配列では識別が可能であることが示されました.大型単子葉植物種子はムギ類に形態が似ているものの,DNAレベルでの検討とともに,上位の地層からの落ち込みも考えられるので,年代測定を計画しているということでした.縄文時代から管理栽培を行われていたことを実証する,興味深い話題提供でした.

 その後,一般講演が8題行われました.内容は日本大学電子線利用研究施設(LEBRA)に設置された微小部X線回析装置を使った,腕足類の貝殻や恐竜の卵殻の構造解析,ストロンチウム同定,フネガイ科二枚貝ササゲミミエガイの移動様式,カワニナ属カワニナ種群のアロザイム分析,石炭・石油の生成シミュレーション,哺乳類型爬虫類の歯の内部構造,底棲有孔虫による古環境解析と多彩でした.

 午後6時からは会場を理工学部大会議室に移して懇親会が行われ,特別講演の演者も交えて大いに語り合いました.

 翌23日(日)には三内丸山遺跡への巡検が行われました.車内では根本会員に津軽地域の地形や地質を解説していただきました.遺跡ではあいにくの小雨の中,解説ボランティアの方にご案内していただき,クリの木の林に囲まれ,すぐ近くまで海がせまっていた縄文時代の景観を想像しながら見学しました.約5000年前とは思えない,建造物の規模や都市の計画性には驚きました.以前来たときに比べ展示施設などが充実してきていましたが,遺跡を一望できる展望台やハンディーな遺跡の地形図があると良いと思いました.

 なお参加人数は,例会30名,懇親会23名,巡検14名でした.化石研究会の行事が東北地方で開催されたのは,今回がはじめてということでした.会員の少ない地域で,内容の充実した本例会の企画および準備をしてくださいました,根本直樹会員,氏家良博会員に感謝いたします.
 (小幡喜一) 



第9回国際生鉱物研究集会が終了.次回は2009年北京に決定

 第9回国際生鉱物研究集会 (The 9th International Symposium on Biomineralization)は,2005年12月5日から10日まで南米・チリ共和国のプーコンで開催された.主催はチリ・サンチャゴにあるチリ大学獣医科学部のJos Luis Arias 教授で,副題にFrom paleontology to material science とあるように,非常に幅広い分野を対象とした研究集会であった.

 開催地のプーコンはチリの首都サンチャゴから国内便でさらに南へ約2時間飛び,さらに車で1時間半ほどの所にある小さな村で,風光明媚なリゾート地である.チリ南部のアンデス山脈の西麓にはたくさんの湖が並んでいるが,プーコンはそのうちのひとつビラリカ湖に面している.東側には雪をかぶった成層火山,ビラリカVillarrica火山(標高2847m)がそびえている.季節は夏であるが,かなり南なので最高気温は20℃前後で暑いと言うことはなかった.今回の集会に参加した化石研会員は,小林巌雄,高橋正志,三島弘幸,筧 光夫および神谷の計5名である.そのほか長澤寛道氏(東大・農)とその研究室の若手研究者2名,立命館大学理工学部(滋賀)から若手の結晶成長研究者2名,それに石巻専修大学の大越健嗣氏が参加され,日本からの参加者は合計11名であった.

 シンポジウムは講演数が100以上と多かったため,かなり詰め込んだプログラムとなった.講演は毎朝8時30分開始,休憩は午前と午後それぞれ1回,夕食は午後8時から9時30分で,そのあとさらに10時30分までの講演や,午後11時までのポスターセッションのある日もあった.しかし,各講演ともかなり熱心な質疑・討論が行われ,内容的には充実した集会だった.シンポジウムの副題の「古生物学から材料科学へ」のように,古生物学的な講演は以前より少なめとなり,バイオテクノロジーに軸をおいた材料科学や,有機物の構造に関する講演が多かった.

 最終日に開かれたまとめの会では,今回の会議の総括と次回の集まりについての相談があり,次の第10回は2009年に中国・北京で開催することが決定した.2004年10月の第2回アジア地域生鉱物研究集会(北京)の主催者であった崔福斎Cui Fuzai 教授(清華大学・材料科学)がかねてから次回の開催を希望しており,日本にも応援が依頼されていたが,それが受け入れられたので,喜んでいた.国際会議開催の経費に苦労する日本の大学とはだいぶ状況が違うが,中国の最近の発展の一面を見る思いである.

 なお,第3回アジア地域生鉱物研究集会は,来年2007年10月に中国南部の廈門Xiaomen大学で開催される予定である.多くの会員の参加を期待したい.

 (神谷英利)



随 想

 『アメリカ大学研究生活46年』 (7)

南カロライナ大学 名誉教授 渡部 哲光
     
 カキ殻微細構造研究結果の一部が論文に一応纏まったので,6月に入ると,ノースカロライナ州の海岸地方にあるデューク大学臨海実験所(Duke Marine Laboratory)(DML)に派遣された.実験所は古い港で,エビ漁の盛んなボーフォート町(Beaufort)の西端から5メートルくらいの橋を渡ったところのピヴァーズ島(Pivers Island)という小さな島に立っている.橋から島の東端までは歩いて15分くらいの距離だが,南北の幅はこれよりやや狭い.ボーフォート町は州の沿岸を約500kmにわたって縁取るアウターバンク(Outer bank)-外縁砂州- に水道を挟んで相対していて,ルックアウト岬(Cape Lookout)の灯台までは海上約20kmである.

 夏季には毎週のように学生や職員がダーラムの教室から車で実験所に行く.それで私はそれに便乗させてもらった.1957年といえば,日本では一般の人は自家用車は持っていなかったし,高速道路は勿論のこと,整備された国道も余りなく,大学の職員・学生が車で数時間走って実験所に行くことなどは皆無に近かった.日本出発前に,アメリカではスピードによる車の事故が多いからくれぐれも気をつけるように言われていたので,ダーラムから約4時間,250kmのドライヴは大変緊張した.当時はアメリカでもInterstate Highway (高速道路)はまだ出来ていなかったものの,実験所までは良く舗装された2車線のハイウェイで,制限速度55マイル(88km)で走った.このような長距離ドライヴは私には初めての経験で,それこそ飛んでいるように感じた.一番怖かったのは前方,と言っても遥か遠く,に対向車が見えていても追越しをすることで,足を突っ張って体を固くしたが,ドライヴァーの学生に“Relax. We are OK" と笑われた.途中の幾つかの町や村は30kmくらいの速度でのろのろと通過し,その時は実を言うとほっと息をつくことが出来た.

 便乗する車が無い時は,航空便かグレイハウンドバス(Greyhound Bus)を利用する.しかし,前者は週に1,2便しかなく,不便かつ高価で,実際問題としてバスが唯一の手段であった.もっとも,学部学生はデュークのような私立大学に学ぶだけあって裕福な家庭の子女が多い.夕方,車輪を出して実験所の屋根をかすめて,すぐ近くの小さな飛行場に着陸してくるダグラスDC 3を仰いで,‘やあ,またUndergraduateが来た’と大学院学生はよくつぶやいていた.程なくタクシーが着いて学生が降りてくると,所長のブックハウト(Bookhout)教授は小さなトレーラーみたいなものを押してきて学生の荷物をのせ,寮に案内するのが恒例だった.私は勿論,そんな旅費は支給されず,一度バスを使ったことがある.

 朝6時ころダーラムを出発して東海岸に向い,途中,昼食休憩のため,あるステーションに止まった.サンドイッチを口に入れて外に出るとバスが数台止まっている.そばの人に聞くと,これに乗れというので乗って数十分走った.しかし,どうも様子が違う.運転手に聞いたら全く違う町に行くバスで,ボーフォートから50kmばかり離れたニューバーン市(New Bern)で降された.仕方なく公衆電話で実験所に連絡をして事情を話した.誰かが迎えに来るというので,あまりきれいでもないバス停で待つこと数時間.やっと事務長が車で来て呉れた.実験所に着いたのはもう夕方で,夕食にはありついたものの,やはりくたびれた.アメリカは現在でも‘短’距離陸上交通機関が日本などほど発達していないから,こんな失敗をすると後が大変である.

 さて,実験所の建物は当時は殆ど木造か,ブロック積みで,芝が敷き詰めてある真ん中の広い中庭を囲んでロの字型に並んでいた.東側には教室棟と研究棟,西側には4棟の寮及び本部のコッテージ,北側に食堂,職員住宅,そして南側にボート庫・機械庫があり,桟橋には採集用のボートが大小取り混ぜて3−4隻繋がっていて,時には外洋研究船が入港していた.

 DMLは現在は環境学部に属しているが,そのころは動物学科の付属機関で,夏季には学部レヴェルの海生無脊椎動物学,海生藻類学,放射線生物学などの講義・実習があり,その単位取得のために学生がデューク大学以外からも集まって来た(注3).また随分有名な実験所だから実験のために国内,海外から多くの研究者が家族連れで訪れていて,町にある大学付属や個人経営のアパートなどを利用していた.私は寮の一室に学生と同室で宿泊した.研究活動は中々活発だったし,夜にはこれら研究者による講演があり,そのほか研究所主催,研究者個人,学生同士のパーティーなどが構内や,町で殆ど毎日のように開かれ,色々な研究者・大学院・学部学生などと話し合い,お互いに知り合う機会が随分あった.

 これは,色々な面で大きな収穫だった.町に出るには私は車は持っていなかったが,学生,時には教官などに頼むと快く連れて行ってくれた.食堂は日曜日の朝食,昼食は出ない.それで,ボーフォートや4kmくらい西にあるモアヘッドシティー市(Morehead City)のレストランに行く.当時は日曜日は町の教会に行く者が多く,私も誘われて2回に1度位は付き合った.彼らは普段とはがらっと変わって,男生徒は背広にネクタイ,女生徒はスーツに帽子,白手袋をはめ,これが学生かと見違えるようなきちっとした服装で出かけて行った.教官も同様.週日には昼食後毎日のように中央の芝で,所長のブックハウト博士が相手を見つけてきて,クローケー(Croquet)(日本のゲートボールに似ている)の競技をしていたが,私もよく仲間に入れられた.相手のボールを遠くに打ち飛ばすので,中々面白く,始めると止められない.土曜日には大型ボート数隻に分乗して外縁砂州に行きピクニックを兼ねて採集をしたり,野性の馬を見たり,何もせず砂浜に寝転んだりして結構楽しめた.

[注3.実験所は後年,新設された環境学部付属となり,動物・植物学科(後に生物学科に統一),海洋学科,また医学部の環境研究所もその傘下に収め,建物も増築整備されている.また,授業も年間を通じて行われていて,冬季も受講にくる学生も少なくない.]

 それはそれとして,私は教授の指示によりウニの類(Arbacia punctulata)の排卵実験,カキ殻の接着実験や,論文作成などを行い,瞬く間に2ヶ月が過ぎてしまった.

 教授は学問的に深みのある,頭の鋭い,語学の達者な学者だったが,この接着実験だけはその目的も意義も全く不可解なもので,私としてはただ計画を文字通り忠実に実行するより仕方がなかった.それはカキの貝殻2枚を選び,各々の外表面を研磨して平滑にし,この2枚の面を海水中で重ね合わせて圧力をかけて密着させるというものである.これは彼の友人の土木工学の教授が2個のコンクリート・ブロックを水中で圧力をかけて密着させることに成功したのにヒントを得て,カキ殻で海水を使用してやってみようと考えたというのである.始めから「うまくゆくのかな」と甚だ疑問だったが,果たして先ず表面の研磨に問題が出てきた.アメリカガキ(Crassostrea virginica )では比較的平らな右殻は薄くて圧力をかけるとすぐに潰れてしまう.それで年齢が古い個体で,厚い方の左殻の余り穿孔されていない部分を選んで研磨したが,殻は薄い稜柱層の下にある葉状層の間に,チョーク層が入り込んでいて均一ではなく,また,チョーク層は炭酸カルシウム細粒の不規則集合でポロポロと剥がれるので,研磨すると小さな穴のあいた表面になってしまう.それで,研磨面積は1センチ平方位のごく狭いものとなった.両面をぴったりと合わせるのも容易ではなかったが,何とか片方の貝殻は板に固定して,それに片面を合わせ,重しをかけた.しかし,あまり重いと殻は潰れてしまう.それで,鉄棒の一端を実験台の縁に固定し,他端に試行錯誤で定めた重しをぶら下げ,棒の適当な箇所を支点としてそこに2枚のカキ殻の結合体を置き力を加えた.カキ殻は小さな海水槽に沈め底に固定してある.装置にふれると直ぐにバランスが崩れてこわれてしまうので,周囲に縄を張り,"Please do not touch. An experiment in progress"と仰々しく張り紙をしておいた.

 これはたちまち掃除の小使い(用務員)も含め,実験所全員の好奇心の的となり,何をやっているのだ,と質問攻めにあった.あらかじめこのことは予期していたので,よどみなく説明した上,これは教授の命令でやっているのであって,決して私の考えでないことは強調した.実験は2回行なったが,いずれも1週間位で殻が崩れてきてあえなく終了した.もしもカキの代わりに周辺に豊富に生息しているホンヴィノスガイ(Mercenaria mercenaria ) を使えば,その貝殻は緻密な均質構造を持っているから,或いはある程度の成功はしたかもしれない.しかし,教授はカキ貝殻の使用が主要目的であったらしく,それは出来なかった.

(つづく)



各地の博物館特別展

●岩手県立博物館 「ハザードマップ−減災から共生へ」 
  1月28日〜3月12日
●多摩六都科学館 「化石が語る関東の1500万年間」 
  12月22日〜3月
●中津川市鉱物博物館 「鉱物は語る大地の記憶−中部地方の鉱物−」 
  12月11日〜3月5日
●静岡科学館る・く・る 「地球環境展」 
  1月14日〜2月12日
●東海大学自然史博物館 「河原の石と海岸の岩石」 
  1月2日〜4月9日
●みなくち子どもの森自然館 「土山にみつけた亜熱帯の海〜第二名神工事現場の化石から〜」 12月6日〜   3月12日
●兵庫県立人と自然の博物館 「古生代の世界」 
  2月18日〜6月11日
●愛媛県立博物館 「岩石・化石大集合!−石が語る愛媛と地球」 
  1月28日〜2月19日
●北九州市立自然史・歴史博物館「恐竜博2005〜恐竜から鳥への進化〜」 
  12月23日〜3月31日





新刊紹介2005

☆ 『地球の歴史を読みとく?「ライエル地質学原理」抄訳』 
 大久保雅弘著
 古今書院,2005年6月(¥4700+税)

 斉一主義の提唱者として知られる英国の地質学者チャールズ・ライエルの古典「地質学原理」(Principles of Geology)を紹介した書物である.「地質学原理」の抄訳に加え,長年原典を読み込んできた著者の詳しい解説は参考になる.

☆ 『ビーチコーミング学』 
 池田 等著
 東京書籍,2005年8月(¥1800+税)

 海辺は泳いだり,キャンプをするだけの場所ではない.流木,貝殻,骨,陶片など様々な漂着物が海岸には打ち上がる.ビーチコーミングとは,このような漂着物を拾ってコレクションしたり,アート作品にしたりする趣味である.著者は相模湾で育ち,ビーチコーミングを40年以上続けてきた海洋生物学者である.この活動を子どもの環境教育へ活用することも提案している.

☆ 『南の島の自然誌』
  矢野和成著
  東海大学出版会,2005年11月(¥3200+税)
 サンゴ礁をもつ沖縄や東洋のガラパゴスともいわれえる小笠原の周辺に生息する海洋生物に関するフィールドワークの記録である.亜熱帯の海にすむ魚類,貝類,頭足類,甲殻類,棘皮動物,鯨類などのユニークな生活を紹介している.

(以上 鈴木明彦)

☆『生命 最初の30億年 地球に刻まれた進化の足跡』
 アンドルー・H・ノール著,斉藤隆央訳,紀伊国屋書店,2005年.
 (2800円+税)

 誰もが一度は関心を示し好奇心を抱く地球生命起源の謎については,最近いろい ろな分野で科学的情報が蓄積されつつある.本書は,地球生命の起源とその初期の 進化について,最近の重要な発見を実にていねいかつ公正にまとめられた労作であ る.訳者によって述べられているように,本書は生命最初の30億年について「現段階でわかっている事実と,状況証拠の真偽をめぐる議論とを,偏りのない視点で 丹念に検討し紹介した解説書」である.

 長年,化石が産出しない空白の期間のようなあつかいを受けていた5億年以前の 地球生命史は,ここ10数年来の地球科学の発展,とりわけ同位体地球化学,分子系統学,地球年代学,惑星科学などの進展により,これまでにはない高分解能と説得力をもった新しい解析法やデータによって解き明かされようとしている.当然な がら,生命の起源やその初期進化というテーマは,単一の研究分野や手法によって 解明されるとは考えにくく,学際的かつ斬新な視点からのアプローチが求められる ことは言うまでもない.今後さらに多くの知見の蓄積が必要とされるであろうが, その一方で最近の成果には目に見張るものがあり,充分に科学的検討の土俵が築か れつつある分野である.

 本書の著者は,古生物学者として世界各地のカンブリア紀以前の地層群を20年 以上にわたり調査し,生命の進化と地球環境の変遷に関して造詣が深い研究者の一 人であり,ハーヴァード大学におけるNASAの宇宙生物学研究プロジェクトの主 任研究者でもある.本書は,北シベリアのコトゥイカン川沿いに見られる先カンブ リア時代とカンブリア紀境界付近での野外調査の描写に始まり,生命発生初期に関 する証拠を時間変化にしたがって丹念に辿りながら,地層からの記録を解き明かす ような展開で書き表されている.現在の地球に見られる多様な生物界への転換とな る“カンブリア爆発”に至る過程とその意義が見事に描き出され,最終章の「宇宙へ向かう古生物学」で宇宙生命探査の成果と今後の課題も述べられて締めくくられている.このように,本書では地道な野外調査の経験やそれらの成果がリアルに描かれ,それらに裏付けられた確かな視点から,最近の多分野にわたる研究成果を比較検討しており,その記述には迫力と魅力が満ちている.本書には著者の考えや感想などの主観的記述も随所に見られるが,それらは他者の発見や研究成果への公正かつ見識をもった評価にもとづいて述べられているため,本書の価値をさらに高める 効果を発揮しているように思われる.このような本書は,専門外の読者のみなら ず,専門課程の学生,大学院生,関連分野の研究者に至るまで,現在の研究の進展状況を概観するのに大変有用な一冊となろう.あえて残念に思うのは,評者は本書 の原著を確認していないが,本書に添えられている巻末の参考文献が完全な引用文 献でないことである.これは,本書が専門書として出版されなかった事情によるの かもしれない.

 (島本昌憲)


事務局だより                    

■会誌へご投稿をお願いします
 次号の39巻1号の原稿締め切りは2月28日です.ふるってご投稿をお願いいたします.総説,原著から本の紹介,論文の紹介,ニュースなど,なんでも結構です.
 
 38巻1号,2号は共に特集を組みました.今後もできるだけこのような企画を続けたいと思います.特集企画の中心になるテーマ・会員の自薦他薦をお願いいたします.また.編集部から依頼が行くことがありますので,その節はぜひお願いいたします.

 最近はPDFファイルとして電子メール添付で論文の「別刷り」を送ることが多くなりました.投稿していただいた著者の方には,従来の別刷り注文に加えてPDFファイルの製作注文も受け付けています.どうぞ,ご利用ください. (会誌編集部 笹川一郎)

【会誌原稿の投稿先・問い合わせ先】
笹川一郎
日本歯科大学新潟歯学部解剖学第一講座
〒951-8580 新潟市浜浦町1−8
TEL: 025-267-1500


化石研ニュース No.94 06・2・1
編集・発行:化石研究会事務局 〒525-0001
滋賀県草津市下物町1091番地
滋賀県立琵琶湖博物館 地学研究室内
TEL. 077-568-4828 FAX. 077-568-4850
http : //www.kaseki.jp





Copyright(C) 化石研究会