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化石研究会の歴史についての私見

秋山雅彦

最終更新日:2013年5月14日


PDF版「化石研究会の歴史についての私見」はコチラです。


 数年前,地質学史懇話会会報19号(2002)に「古生化学と有機地球化学の半世紀」と題して,私の半世紀にわたる研究史を執筆する機会をえた.大学院終了後の私の研究内容の多くは化石研究会の中で育てられた成果という思いが強い.そこで,その内容をもとに,私の専門である古生化学と有機地球化学を中心にすえて,化石研究会の歴史の一端をまとめたのが,下記の総説である.
 化石研究会の会員の業績は海外でも高く評価されてはいるものの,研究会の成立からその発展の歴史についてはまったく知られていない.そこで,少しでも海外の古生物学者に本研究会の歴史を知ってもらおうと考え,英文の総説にした次第である.
  A historical view of the Fossil Club to the Fossil Research Society of Japan”,
   
化石研究会会誌38巻,2号,135-140ページ

  過日,化石研究会事務局の担当者から,上記の総説を会員に読むよう薦めたいので,元になった日本語での原稿をホームページに掲載したいとの要請をいただいた.そこで改めて,英文の総説を日本文に訳してみた.引用文献などは化石研究会会誌の上記論説を参照していただくとして省略したが,本文中では一部加筆した部分もある.
   (005-0040 札幌市南区藻岩下4-5-5, mhakiyama@nifty.com)


化石研究会の歴史についての私見

秋山雅彦

A historical view of the Fossil Club to the Fossil Research Society of Japan”
化石研究会会誌38巻,2号,135-140

 この論説は化石研究会の広範な研究活動のうち,微細構造グループの,特に私の関係してきた古生化学研究に焦点をあてた内容である.したがって,多数の会員が関わっている古生態グループの活動や脊椎動物化石に関する研究を取りあげることはできなかった.研究史をまとめることは次の世代を担う若手研究者の糧になることは疑う余地のないところである.この論説が,それらの研究活動についての総説をまとめていただく契機となれば幸いである.

1.はじめに

 1959 年に化石研究会が創設されたとき,私は東京教育大学で博士論文のテーマとしてホタテガイ化石の古生物学的研究を行い, 通常の古生物学の手法で実施した研究(Studies on the Phylogeny of Patinopecten in Japan)は1961 年に完了した.大学院での研究は,外部形態にもとづく古典的な研究であり、そのような研究手法には満足できないでいたため,近代的な生物学の手法を導入して進化を追及しようとする化石研究会の長期計画に強く惹かれた.そのため,創設当初から化石研究会に参加し,化石の生化学的研究を開始した. 1954 年に化石の中からアミノ酸分子を検出したとするP.H.エーベルソン博士の研究を知り,古生化学の研究へと駆り立てられた.この論説では,私の個人史を通して,化石研究会の創設とその発展について述べる.

2.化石研究会の創設とその活動

 化石研究会は井尻正二氏を中心とする研究者たちによって1959年11月に設立された.そのときの設立総会は資源科学研究所(東京都新宿区百人町)で開かれ,26 名の古生物学者が参加した.その席で,古生態グループ(責任者:森島正夫)・微細構造グループ(責任者:藤原隆代)・進化グループ(責任者:井尻正二)の 3 つのグループが設立された.
創設時の会員数は85 名で,地質学,古生物学,生物学,解剖学,生化学,歯学など多岐の専門に亘っていた.その創設期の歴史については,下記に詳しく記述されているので,そちらを参照していただきたい.

 地学団体研究会著(1966):科学運動,築地書館の85-91 ページ

 1954 年にP.H.エーベルソンがペーパークロマトグラフィーで化石アミノ酸をデボン紀の化石にまで遡って検出し,化石分子を研究する新分野としての古生化学を提唱したことは,まさに画期的な出来事であった.
 国内においては第二次世界大戦中に,井尻正二氏が化石の化学的研究を始めていたものの,エーベルソンによって先鞭を付けられてしまった.しかし1959 年には,井尻氏は藤原隆代氏とともに後期更新世のマンモスの臼歯からコラーゲン分子を検出し,その分子は試験管内で石灰化能を保持していることを示した.東京教育大学では多くの大学院生が,大森昌衛氏の指導のもとで硬組織の生化学と微細構造の研究に取り組んだ.

 私はペーパークロマトグラフ法を使って,各種の貝化石からアミノ酸を検出することに成功した.エーベルソンから紹介を受け,ベルギーリエージェ大学のM.フロルカン教授と手紙の交換をすることができた.彼の研究室では硬組織中の有機物に関する研究が活発に行われていた.フロルカン教授は1966 年に, “A molecular approach to Phylogeny” という重要な著書をElsevier から出版した.この本は化石研究会の会員有志によって翻訳され,江上不二夫教授の監修を得て,築地書館から1969 年に「分子からみた生物進化」として出版された.この翻訳作業の進行中,1968 年5 月にフロルカン教授が来日された.
 築地書館の土井庄一郎氏のお世話で,東京築地のスエヒロでフロルカンを囲んでの夕食会が開かれた.その会合は化石研究会会員にとって大きな刺激となった.

 その年に,私はワシントン大学(米国セントルイス市)のW.D.ジョーンズ教授の研究室で白亜紀Pierre 頁岩中のアミノ酸の研究に携わる機会をえた.その前年に粘土鉱物の国際的に著名な須藤俊男教授の研究室を訪問されたジョーンズ教授を紹介して下さったことによるものである.すでに故人となられた須藤教授の紹介がなかったら,このような機会は得られなかったものと,今も感謝している.

 ワシントン大学での滞在中に更に研究の継続が必要になったことから,アリゾナ大学(ツーソン市)のR.W.G.ワイコフ教授に研究の希望を出したところ,幸いにも彼の研究室で各種の化石中のアミノ酸の研究に携わる機会が実現した. X 線結晶学であまりにも著名なワイコフ教授は,化石に含まれる有機分子の研究でも指導的な研究者の一人であった.化石研究会では,会員による古生物科学の成果をもとに「化石の研究法」を共立出版から1970 年に出版した.この著作は日本の古生物学者にとって研究のバイブルともいえよう.2000 年には,その後の研究の発展をふまえて全面改訂され,「化石の研究法‐採集から最新の解析法まで」と題して同じ出版社から刊行された.

3.動植物の生鉱物研究

 創設当初における化石研究会の重要課題のひとつに,動植物の硬組織の石灰化(生鉱物化)の研究があった. 1970 年に生鉱物化に関する第1 回国際シンポジウムがボン大学のH.K.エルベン教授の主宰でドイツのマインツで開催された.国内ではそれ以前の1966 年に箱根で硬組織の鉱物化に関する学際シンポジウムが開催されている.そこでは荒谷真平・井尻正二両氏の主宰で生化学者,古生物学者,生物学者が一堂に会して討議が行われた.
 それより以前に東京教育大学の大森昌衛氏による「化石の微細構造に関する研究」という課題で文部省の科学研究費補助金(総合研究)の採択がすでに実現していた.1964〜1966 年の3 年間にわたるこの総合研究の成果が箱根のシンポジウムの成功をもたらした,と考えられる.また,この成果報告書の刊行が1968 年からの化石研究会会誌へ引き継がれることになった.

 この生鉱物化に関する国際シンポジウムは3〜4 年間隔で引き続き開催されてきている.特筆すべきことは,この国際シンポジウムが3回にわたって日本国内で開催されていることである.それらは,第3回賢島シンポジウム(大森昌衛・小林新二郎両氏の主宰),第6回小田原シンポジウム(須賀昭一・中原皓両氏の主宰),第8回黒川−新潟シンポジウム2001(小林巖雄・久保木芳徳・松永是の3 氏主宰)である.これらのシンポジウムは化石研究会会員による貢献なくしては考えられない.

 研究組織体としての化石研究会(The Fossil Club)が学会として正式に組織化されたのは1983 年で,会員221 名(2004 年3 月現在)の専門は解剖学,生物学,地質学,古生物学など多様である.会のweb siteはhttp://www.geocities.jp/tepkun/index.htmlで,正式な学会機関誌の「化石研究会会誌」は2005 年に第38 巻が刊行されている.

4. 生命の起源研究への貢献

 1971 年に野田春彦教授は文部省科学研究費補助金をえて,「原始地球上での生命の起源研究」を実施した.私は化石研究会所属の他の古生物学者とともに,当初からこの課題研究に参加した.1975 年には,この課題研究のメンバーが中心となって「生命の起原と生物進化学会(SSOEL-Japan)」が発足した.学会誌として刊行された“Viva Origino”は2005年には32 巻を数えている.
 1977 年には,The Society for the Study on Origin and Evolution of Life (SSOEL)The 5th International Conference on the Origin of Life (ICOL)がSSOEL-Japan の主催によって京都国際会議場で開催され,そこでの発表論文は1978 年に野田教授の編集でJapan Scientific Societies Press から刊行された.

 その会議の後,私はC. ポナンペルマ教授の招聘で先カンブリア時代のアミノ酸の研究のため米国メリーランド大学へ出張することになった.世界各地の先カンブリア時代の堆積物からアミノ酸が検出されてはいたものの, 1960 年代の終わりなると多くの研究者は分子化石から生命の起源研究へのアプローチを断念していた.その理由は,カーネギー研究所のP.H.エーベルソンとP.E.ヘアがアミノ酸のラセミ化反応を根拠に原生代の地層から検出されるアミノ酸はすべて汚染によるもので,分子化石ではないとする論文を公表したためであった.私たちは彼らの研究結果に挑戦し,加熱実験をもとにチャート中のアミノ酸は原生代という古い時代でも安定に保存されている可能性を示した.

5. 分子古生物学

 更に驚くべき研究が1990 年にE.M.ゴーレンベルクらによって公表された.それは米国アイダホ州の中新世クラーキア植物群のモクレンの葉化石から820 残基からなるDNA 分子が検出されたという報告である.しかし,DNA のようなに安定性を欠く分子が1000 万年以上もの期間にわたって保存されることに疑いをもつ学者もいたことは確かである.

 H.N.ポイナーらはアスパラギン酸のD/L 比が0.08 以上にラセミ化が進行している化石試料では DNA 分子が検出されることはあり得ないとした.中新世の化石にDNA 分子が残されていることは信頼できないのかもしれないものの,ゴーンベルクらのDNA の論文はその後の化石DNA 研究に大きな貢献を果たしたことは否めない事実である.その証拠には,1993 年にR.J.カノーらによってDNA 分子の断片が白亜紀のコハク中の昆虫化石から検出されることになった.このような古生化学の研究が可能になったのは,DNA 鎖を増幅するPCR 法によることは強調されなければならない.不幸にして,わが国に産出する化石は保存状態が悪く,DNA 研究には適していない.

 M.カルビンは1969 年に,先カンブリア時代の試料も含めて地層中に安定に保存されている炭化水素の研究が重要であることを指摘し,化石分子の研究分野として分子古生物学を提唱した.有機地球化学の発展にともなって,バイオマーカーが注目されるようになってきている.光合成細菌や真核生物すでに27 億年前の出現していたことが, 2-メチルホパンやC28-C30 ステランの存在から,1999 年にP.E.サモンズらによって立証された.国内では,日本有機地球化学会(http://www.ogeochem.jp)に所属する若手の地質学者・地球化学者がこのバイオマーカー研究に多大な貢献をなしている.この学会の前身にあたる有機地球化学研究会は,東北大学の故田口一雄教授らの主宰のもとで1972 年に誕生した.

6. おわりに

 進化論は,1859 年に「種の起原」を出版したダーウィンによって確立された. 1958 年には日本学術会議主催の「ダーウィン進化論100 年記念シンポジウム」が東京上野公園内の学術会議講堂で開催された.参加学会は,日本動物学会,日本植物学会,日本人類学界,日本遺伝学界,日本地質学会,日本古生物学会,日本生態学会,日本農学会,日本科学史学会の9 学会であった.そのシンポジウムでは各分野の専門家が進化についての最新の研究成果を述べ,討論が行われた.その成果は「丘英通編:ダーウィン進化論百年記念集,日本学術振興会,1960」として出版された.
 そのシンポジウムでは,わが国の著名な古生物学者が古生物学は進化の証拠は示すことはできてもその原因については論及できない,と述べていた.不幸にして,この見解は古典的な古生物学の限界であり,国内の古生物学者の共通見解でもあった.若い研究者によって新しい方法論の追及が始まっていた当時だけに,古生物学の近代化(古生物科学)を創造するための化石研究会の設立は必然的なことであったと言う事ができよう.研究会の若手研究者は新しい生物学や生化学の手法を化石の研究へ導入するための努力を続け,化石の微細構造や生化学に関する多くの論文を公表するとともに,先に述べた「化石の研究法」の刊行も実現することができた.

 このような古生物学の近代化の過程で,井尻正二氏は化石研究に関して下記のような重要な見解を表明した.「近代的生物学の成果を消化吸収し,それらを古生物学的進化論を確立するためのエネルギーにすることは,絶対的な必要条件である.だからといって,このことは古生物学的現象をもっぱら近代的生物学の成果にあてはめたり,それによって解釈することとは,まったくの別問題である」.井尻氏は彼の古生物進化論の完成を待つことなく, 1999 年12 月に逝去された.誠に残念なことである.彼は進化論の指導的役割を果たした学者であったばかりではなく,マンモスゾウの臼歯に含まれるコラーゲンの検出やその石灰化能の立証など古生物科学の先駆的な研究者でもあった.

 彼の古生物科学への貢献はすでに中新世のデスモスチルスの研究に始まっていた. 1938年にはデスモスチルスの石灰化途中の臼歯の内部構造研究をもとに,Invagination(陥入)hypothesis を提唱した.これは哺乳類の歯の形態の多様性を統一的に理解するための仮設である.さらに1940 年には,生存期間の短いデスモスチルス属でもヒトの第3臼歯と同様にその著しい個体変異はnegative variation (退化的傾向の変異)で説明できるとした.この内容については,次の文献を参照して欲しい.

甲能直樹(2000)Desmostylus japonicus Tokunaga and Iwasaki, 1914:完模式標本(NSM-PV5600)研究の100年.足寄動物化石博物館紀要,1, 137-151.

 2001 年に刊行された古生物学的進化論の体系(要旨)(化石研双書1 号)は次のような構成となっている.T章種,U章変異,V章淘汰(選択),W章獲得性遺伝, X章系統発生,付)実験古生物学
 この古生物学的進化論(要旨)は若い古生物学者によって今後完成されるべきもので,今後の古生物科学研究にとって重要な役割を果たすことになろう.

 引用文献については化石研究会会誌38巻,2号,139−140ページを参照